東北地方太平洋沖地震

関東圏で実施される”計画停電”に際しまして、
私が管理しますブログをしばらくお休みします。

節電の為、PCは殆ど付けない様にすることにしました。

自分が管理する複数のブログは娯楽要素が殆どです。
緊急でお伝えしたい事がおきない限り、今の日本に不要と判断しました。
お休みの間、しっかりと節電に励みます。

事態を見守り、復活もあるかもしれませんが、
しばらくはtwitterで少しつぶやく程度にします。

どうぞよろしくお願い致します。

 

以下は、昨日記録した私の体験記です。

海外や関西・四国・九州地方に読者様がいる為、
掲載する事に致しました。
 

 
ようやくPCを開きました。

金曜日は仕事で病院にいました。
花粉症の患者様が途絶える事無く来る中、
2時半頃にやっと午前診療が終わり休憩、
あの恐ろしい揺れがおきたのは食事がほぼ終わった頃でした。

最初はただの小さい地震だと思っていました。

小さい地震が10〜15秒程続いた後、どんどん大きくなります。
未経験の大きな揺れに変貌し、ビルの入り口付近まで逃げました。
ガラス壁が多いインテリアの病院で院内は危険だからです。
「屋外には出ない方がいいです。」みんなをなだめたりして冷静でした。
私は以前の職場で防災担当のチームに属しており、
東海大地震に向けた東京都の医療ネットワークに関わっていました。

大きな揺れが1分以上続く事はありえない…

そう教えて頂いておりましたが、
大変長い事、震度5強の揺れがありました。

私は小さな医療モールが入るビルにおりましたが、
収まった後、院内の壁の長いヒビを見て、ゾッとしました。

隣のビルは水道管の故障か、水が噴き出していたそうです。
近くのビルでは窓の清掃でビル外のゴンドラが激しく揺れて、
「落ちるぞ!!」「死んじゃう!!」「助けてあげて!!」
通行人から悲鳴が上がったと外で食事をしたスタッフから聞きました。

直後は携帯は不通…ワンセグで地震の事を知りました。

夫、兄弟、両親、安否確認が出来ません。

スグに大きな余震が何度も襲います。
本震よりも、こちらの方が私としては怖かった。
揺れの度にビルがミシッと大きな音を上げていたから…
車酔いの様な状態になり、気持ちも悪かったです。

帰宅難民にもなりました。
電車が全て終日運転見合わせ。
車の渋滞で交通網がマヒした大都会。
私と同じ様に徒歩での帰宅をする人で歩道も溢れます。
警察が車道を歩かない様に叫んでいました。

17:00に病院を出て、帰る手段を模索している内に妹と連絡が取れ、
新橋から2つ先の駅(田町 )に移動開始したのが18:45
妹と合流出来たのが20:33 妹の旦那と合流したのが21:23
川崎の家まで徒歩で帰宅開始したのが22時過ぎ…
(道が混んでる事、携帯が満足に使えない等、時間がかかりました。)

その頃、私のオットが帰宅し、家の無事を確認していました。
微妙に物が移動しているモノの、倒れや壊れはまったくありません。
強いて言えば、カメ吉の水槽内はシェイクされてレイアウトグチャグチャ。
でも、生き延びておりました。ライフラインも全て問題無し。

自宅に帰ったのが、翌日になっていました。
田町から川崎の自宅までノンストップ歩きで2時間強。
日頃のアウトドア&トレッキングの賜物です。

帰宅後半、お腹が空いてぶっ倒れそうでした。
コンビニの食材は何処も買い尽くされ 、
軒並み飲食店が急遽閉店。空いている所は長蛇の列。

遅い食事をとりながらTVから飛び込んでくる、地震の恐ろしさ…

津波でいくつもの町が根こそぎ流される映像に涙と身震いが…

入籍して3時間で流された新郎。
津波時、励まし合って一緒に屋根にしがみついた近隣の死亡。
家族が目の前で流され、ひとりぼっちになった人。

もう数えきれない程の悲しみのエピソード。

言葉がこれ以上出ません…
涙が止まりません…

謹んでご冥福をお祈り致します。

 

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